@article{oai:kwjc.repo.nii.ac.jp:00001533, author = {吉村, 圭}, issue = {58}, journal = {鹿児島女子短期大学紀要, BULLETIN OF KAGOSHIMA WOMEN’S COLLEGE}, month = {Feb}, note = {[訳者解題]  本稿では『くまのプーさん』(Winnie-the-Pooh)の著者として知られるA. A. ミルン(Alan Alexander Milne)が書いた,戦争と平和に関する論考『名誉ある平和』(Peace with Honour)6章から8章までの翻訳を行う.1  本稿で扱う6章から8章では,主に本書の副題(an Enquiry into the War Convention)にもある戦争というものが行われるに至る「慣習」が議論の中心となる.「戦争への慣習」(The War Convention)と題された6章では,庭の破壊をする侵入者の寓話が描かれている.その中では,仮に自身がその庭をこよなく愛する所有者で,その侵入者による破壊を阻止する唯一の手段が偶然手元にあった爆弾を投げることだったときに,家族もろとも爆弾で庭を爆破するかどうかという問いが投げかけられる.通常はそのようなばかげたことをするものなどいるはずがないのだが,しかしそれを実行に移すのが,「感傷にとりつかれた愚か者たち」(sentimentally obsessed idiots)であるとミルンは指摘する(44).この寓話は当然のことながら,他国による侵攻とそれへの反撃という戦争の比喩になっており,ここで言われる「感傷」とは,戦争やそこでの死に対して「英雄」や「名誉」といった言葉で語られるときに呼び起こされる感情のことを指している.日本でも戦国時代の刀と刀で体をぶつけあう戦いのあり方が英雄的でロマンチックな行為として語られることがあるが,本書で言及されているように,同様の価値観が少なくともボーア戦争まではイギリスにもあったようである(49).ミルンはこの「感傷」こそが習慣的に繰り返されてきた戦争の1つの要因であると考えていた.ミルンは庭の寓話によって,庭を破壊されることに対する「本能的な武力の利用」(instinctive use of force)ではなく,例えばその侮辱行為に対して自身の面子が保たなければならないという,決闘の時代から脈々と受け継がれてきた「慣習的な武力の利用」(conventional use of force)こそが戦争を誘発するものの正体だと指摘しているのである(40).  そして7章では,戦争へと若者たちを駆り立てる号令として利用されてきた多くの詩の一節を引き合いに出しながら,その「感傷」がこれまでの歴史の中で戦争を正当化してきたと述べている.ミルンは第一次大戦を「ほとんどコミカルといってもいいほどに非英雄的なもの」(almost comically unheroic)(52)と捉えている.第一次大戦における兵士たちは,英雄のように戦場で壮絶に散ったのではなく,その多くは負傷や毒ガスの後遺症に苦しみながら,しかしベッドの上で死んだのである.1千万の戦死者のうち,800万人は,次に犠牲になるのが自分ではなく自分の戦友であってほしいと願いながら,「英雄的なことを成し遂げる前に殺されてしまった」(did nothing before they were killed)(53)という.しかしそれでもなお,彼らの死は終戦記念日の度に繰り返し行われるの祈りやスピーチ,勲章,あるいはこの章で繰り返し引用されるホメロスの「国のために死すことは甘美にして望ましいもの」という一節によって美化され,神聖化される.このようにして第一次大戦における死は,英雄的と語られてきた過去の戦争と同様に美化され,その美しき死への「感傷」によって,地獄を経験したはずのヨーロッパは同じ過ちを繰り返そうとしている.ミルンはここでこのような警鐘を鳴らしているわけである.  1940年,ミルンは『名誉ある平和』への補足として小冊子「名誉ある戦争」(War with Honour)を執筆した.その中でミルンは,自身が『名誉ある平和』を書いた目的について「読者たちに,先人の目を通した伝統的戦争観ではなく,現在の戦争を自分自身の目で見てほしかった」(I wished my readers to look at modern war with their own eyes, not at a tradition of war through the eyes of their ancestors)(6)と語っている.2 また『名誉ある平和』の10章では,勇敢な物言いで戦争について雄弁に語る者たちこそ,望めばいくらでもその機会があったはずなのに戦争で死ぬことがなかったものたちだと皮肉を込めて述べている(100).このように,自身で戦争を体験していないものたちが,「感傷」によって美化された戦争について語り,そしてそれが繰り返されることをミルンは恐れていたのである.  ミルンは自身の具体的な戦争経験について多くを語った作家ではないが,7章3節では,その戦争体験の一端を覗き見ることができる.そこでは同じ連隊の部隊に参加するために,一緒にフランスへ行くことになった物静かな青年兵士について書かれている.この青年は両親から持たされた防弾チョッキを身につけるべきかどうかを悩んでいたのだが,結局それを着ていようがいまいが関係はなく,彼は連隊合流前に敵軍の爆撃によって粉みじんに吹き飛ばされてしまったという.戦場を直に経験したミルンに,このようにあっけなく戦死した大勢の戦友がいたことは想像に難くない.そしてミルンは「自分自身の目で」目撃したその戦友たちの死を,覚悟を持って「コミカルといってもいいほどに非英雄的」だったと表現しているのである.そしてその覚悟とは,彼らの死が美化され「感傷」に訴えかける道具として,次の戦争に利用されないようにするための覚悟なのである.  ミルンはこれまで英文学研究史上重視されてこなかったきらいがある.そしてこの『名誉ある平和』もまた,一部のミルン研究者を除けばあまり語られることはなかった.しかし本書は平和主義者として第一次大戦という人類史上最初の歴史的事件を経験し,それが二度と繰り返されないよう願った作家が書いたものであり,それは当時を生きた人間の精神を示す重要な資料としても評価することができ るのである.ここに邦訳を掲載することで,ミルンの当時の願いが現代というこの時代に広く知られるための一助となればと考えている. [解題注記] 1 本稿では『名誉ある平和』の初版(Methuen, 1934)を元に引用,翻訳を行う.『名誉ある平和』の概要については拙訳『名誉ある平和〈1〉』の「訳者解題」にて詳しく述べている. 2 「名誉ある戦争」は第二次大戦下に書かれたものである.この中でミルンは,ナチスの支配に置かれることは戦争よりも悪しき状態として,ナチスとの戦争を支持している.邦訳については拙訳「名誉ある戦争」参照.}, pages = {99--112}, title = {A. A. ミルン『名誉ある平和』〈2〉}, year = {2021} }